クロンシュタット要塞(ロシア・サンクトペテルブルグ)

吉村昭氏の著作で『海の史劇』という小説がある。日露戦争を扱った作品である。
吉村氏の作品は、学生時代にかなりハマって読んだもので、海の史劇もその一冊、何度も再読したなぁ・・・! 今でも本棚にしまってある。
当時も古い作品だとは思っていたが、今改めて調べてみたら1972(昭和47)年刊行となっていた。もう45年も前なのね、あらビックリ^^;

この作品の書き出しは、クロンシュタット軍港からロシア艦隊が出港する場面となっている。あの頃は『クロンシュタット、なんかカッコいい響きの地名だな』くらいにしか思ってなかったのだが、まさか後年になり、自分がその地に行くとは思ってもいなかった。ご縁とは不思議なモノである。


そもそもはエルミタージュ美術館が見たくてサンクトペテルブルグまで行ったのだが、この街の沖合にある島がクロンシュタットであることを知り、であれば・・・と滞在先ホテルで現地ツアーに申し込んでみた*1
ツアー内容は、『ガイド付き・ペテルブルグ 〜 クロンシュタットのバス往復 + クロンシュタット港内クルーズ』である。コンシェルジェ曰く、「クロンシュタットツアーは注意しないと、港までの往復だけだったりするの。港に着いてから『この先のクルーズ別料金』なんてことが多いのよ」だって。なるほど、やはりロシアでのぼったくりってのは往々にしてあるのだな。
「でもこのツアーは、ちゃんとクルーズ付きだから大丈夫よ^^」との話にて、行ってみましたクロンシュタット要塞。


ツアー開始場所にて*2バスに乗り込み、いざ出発。


発車早々にガイドの女性が、参加者に何事か質問していた、もちろんロシア語で。
何を言ってるのかオレにはわからなかったが、皆さんのお答えを注意深く聞いていると、"Moscow"だの"Vladimir(ウラジーミル)"だのと地名を言っている。


多分、『皆さんはどちらから来たのかしら?』ってな質問してるんだろうなと見当を付けて、オレも"Japan!"と答えたらガイドさんは非常に困った顔をした。
『やっべオレ、見当違いのこと言っちまったかも^^;』と、非常に気まずく思っていたら、ガイドさんがオレの席まで来て少々たどたどしい英語で"Uhmm sorry. I can't speak English.The tour is Russia only,it's okay?(悪いけど私は英語が苦手なの、このツアーはロシア語だけになるけど大丈夫?)"と聞いてきたのである、あらら^^;
ちなみにオレ以外は全員ロシア人だった^^;;


まぁともかくオレの答えはあってたみたいだし、困った顔したのはそういう理由なのねってことで。んで今更どうにもならないし、写真を撮り地名を覚えておけば、後からネット検索で何とかなるだろうと判断し、"No problem. But while you explaining, I can't understand the story, so I act without permission, but you don't care, okay?(いいっすよ。でもあなたの説明している間、オレは話がわからないから勝手に行動しちゃうかもだけど、それでもいいすか?)"と確認しておいた*3
それから手真似などを加えたやり取りの後、『ガイドさんはロシア語のみでツアーを進行し、その間オレは適当にフラフラしてても構わない、ただしガイドさんの目が届く範囲にいること』という協定が成立したのである。

何事も対話が重要である、例えお互いの言葉がわからなくても、だ(^^)


そんなんするうちに、バスはクロンシュタットに到着。

沖には要塞島が見えていた。

サンクトペテルブルグは湾の奥に位置する都市で、その沖合にある大きな島がコトリン島、そして島を湾の両側から堤防でつなぐことで要塞化、旧首都防備の前線としていた。これらを総称して『クロンシュタット』と言っている*4
さらには周囲の小島も個々に要塞化し、その守備力を高めているのである。さすがロシア、やることのスケールがデカ過ぎなのだ。

んで、まずは旧軍港周りを見学。

入り江には砲台が残され、向こう側には旧海軍施設があった。

これは(多分)旧海軍工廠、煉瓦倉庫がずら〜っと並んでいた。

ここは(間違いなく)旧海軍司令部、ロシア海軍は黄色い建物が目印となっている模様*5
ここまでが港周り、またバスに乗り込んで次なる地へと向かった・・・、とは言え、どこに行くのかオレにはサッパリわからなかったけど^^;
ってかガイドさんの説明自体をほぼ聞いてなかったので、ここに書いていることも半分当てずっぽうである。話の中に『アドミラル』って言葉が聞こえたので、まぁ海軍関連だろうと思っている程度だし^^;


ともかく、次に着いたところは旧要塞、湾をつなぐ堤防が一ヶ所だけ切れているところにある。つまり、ここが船の出入り口に当たる部分だ。

やはり大ロシアの要塞だけあって、いかめしい造りである。でも近寄るとあちこちゴミだの落書きだので、現在の権威は地に落ちているようであった。

観光用の案内板もあったが、すべてロシア語のみ。何が書かれているのか皆目見当も付かなかった。
このあたり『ロシアの意地』と見るか、それとも『恐ロシア』と見るか・・・判断はビミョ〜*6である^^;


この後はお待ちかねの港内クルーズ。各要塞島を間近で見ることができるのだな、かなり期待(^^)

まずは検閲所の役目の島、堤防から入ってきた船を検閲するための施設とのこと。

その対面には見張所の島、見張所だけあって背が高い建物である。

さらに奥側には海軍関係者の駐屯島、この島はクロンシュタット本島と堤防で結ばれている。

そしてメインの要塞島、冒頭で遠景だった島である、なんかカッコい〜!
堤防の切れ目の真っ正面に位置し、怪しい船は即攻撃だ!!

って、ウカれてしまったが^^;
ソビエト時代には、この島は牢獄として転用さてれていたのいないの・・・ってな話*7もあるワケで。海の真ん中にポコっとあって、周りは監視の目だらけじゃ、逃げ出しようもないよな。


と、こんなんで港内一周クルーズの終了。
当然のことだが船内の解説アナウンスはロシア語のみ、観光用パンフレットもロシア語のみ。よって正確な説明はサッパリ不明^^;
ただ、たまたま乗り合わせたロシア人観光客が英語可だったので、適宜解説をして貰ったのだ。ホント、ロシア人って親切な人が多いんだよね(^^)


帰国後に『海の史劇』を再読、するとクロンシュタットの描写が曖昧なことに気付いた。
『足で書く作家』と言われた吉村氏だが、さすがに米ソ冷戦の真っ最中、しかもレニングラード*8を守る要塞の取材は不可能だったのだろう*9。よって創作により、無難な書き方しかできなかったと思われる。

もし、当時の吉村氏が現地取材を行っていたら、この部分は一体どのような内容になったのだろうか・・・、オレは逆の想像をしながら読むことができたので、却って楽しみが倍増したのだった。



オマケ画像。

クロンシュタットの猫。
この水路には小魚がたくさん泳いでおり、彼は真剣な表情でその群れを追っていた。ロシアの猫もサカナが好きとみた!

(2017/04/30撮影)

*1:ロシアの街では、基本ロシア語のみ。ホテルくらいしか英語は通用しないのだ。なので何か用を足そうと思ったら、コンシェルジェを利用する方が手っ取り早いのである。とは言え、現地では親切な人々がかなり多いので、多少時間は掛かるが、地図などの指さし会話でもなんとか通じてしまうけど。

*2:地図では地下鉄駅の表示になるが、地上部分はバスセンターでチケットブースがいくつかあるから、行けばすぐわかるハズ。

*3:実際はオレの答えを理解してもらうのに、割と時間を要したが^^;

*4:正確にはコトリン島にある都市の名前が『クロンシュタット』なのだが、現在では要塞名として通っている。

*5:サンクトペテルブルグの旧海軍省も、黄色い建物だった。

*6:『観光施設とは言えロシアに来たのならロシア語を読め!』か、あるいは『まぁとりあえず説明板出しとけばいいんじゃね? 看板があるだけ親切ってモンじゃね?』なのか・・・この辺りは『各自の判断に委ねる度量の大きさ』としておけば角は立たないと思う。

*7:隔離病棟として使われた、との説もある。オレには真偽のほどはわからない。

*8:ソビエト時代のサンクトペテルブルグの呼び名。

*9:吉村昭氏は、実際にクロンシュタットの取材は行っていない。