このブログについて

ここのところ撮りためた写真画像が、かなりの数になってきた。今までも一応は整理をしていたのだが、今年に入って本格的に画像整理をはじめたところ、その量と内容に自分でも驚いたりして。
『いつの間にこんなに! ってかオレ、ホントあちこち遊び歩いていたんだわ^^;』という具合。

そこで放置していた旧ブログを改装して、公開することにした*1
パソに溜めとくだけじゃもったいないしね〜、と、ある意味貧乏性なオレである。


基本的な撮影対象は、以下の通りである。

  • 国内
    • 五重塔・三重塔・多宝塔
    • 城郭建築
    • 近代建築(明治〜昭和戦前まで)
      • 木造建築
      • 石造建築
      • レンガ建築
    • 文化財指定建築
    • 磨崖仏
  • 国外
    • 遺跡系
    • 街角風景
    • 自然風景
  • 国内外共通

・・・すさまじく地味である。
我ながら列挙するのさえ恥ずかしいラインナップだと思う。せめてもの救いは『ねこ』だろうか。


でもいいの、だって好きだから


こうした画像類、共感を覚えてくださる方に見ていただければ幸いである。*2


以下、本ブログでの用語解説(適宜追記予定)。

  • ヘン:決してけなす意味ではない。オレ的に『心惹かれる』、あるいは『ユーモアを感じる』という意味である。枕草子の『いとをかし』に通ずる心境を表す。

*1:ちなみにこの文章は、ブログの表玄関になるよう、わざわざ未来日付で記載している。オレの日付感覚が狂っているワケではないので、ヒトツよろしくなのである。

*2:ブログ記載時と画像撮影時は一致していない。それどころか恐ろしく乖離している場合もあるので、ブログ最終行に撮影日時を記入する予定。また通常のネット検索で位置が確認できないような場所については、地図リンクを貼る予定。

首縊りのユダ(サンタ・マリア・ラ・レアル教会@スペイン)

今回はタイトルからして『何事?』の趣であるが。
まずは次の文章をご紹介。


・・・夜が明けると、大祭司や、民の長老たち一同は、イエズスをどのようにして殺そうかと協議し、イエズスを縛って、引いて行き、総督ピラトに渡した。
そのとき、イエズスを裏切ったユダはイエズスに対する判決を知って後悔し、銀貨三十枚を大祭司や、長老たちに返して、「わたしは罪のない人の血を売って、罪を犯しました」と言った。すると彼らは、「われわれの知ったことではない。自分で始末するがよい」と言った。
そこでユダは銀貨を聖所に投げ込んで去り、首をくくって死んでしまった。(マタイによる福音書27章1節〜5節*1


『さらに何事? イキナリ聖書かよ?』なのではあるが^^;


つまり12使徒のうちの『裏切り者のユダ*2』はキリストを金で売ったが、その後の成り行きに恐れをなして金を返そうとするも拒否され、金を捨てて最期は自殺してしまった、と言う話である。なお、裏切り行為の直前の場面が、あの有名な『最後の晩餐』となる。
で、これが今回の話にどう結びつくかと言うと、ユダの首縊りの場面を表した装飾を持つ教会がある、と。通常なら忌むべきものであるそんな装飾は、世界でも類例がない、と。んで、オレはそこに行ってきた、と言う次第である。


その名は『サンタ・マリア・ラ・レアル教会(Iglesia St.Maria la Real)』と言う。牛追い祭りで有名なパンプローナから東へ60Kmほど離れた、サングエサという街にある教会だ。
余談ではあるが、サングエサからさらに7Kmほど東に行くと、『ハビエル』という街がある。ここはフランシスコ・ザビエル*3の出身地、彼はハビエル城に生まれた地方貴族だった。



サングエサの街外れ、アラゴン川沿いに建つその教会はこんな感じ。

ロマネスク様式の古い教会である。
この正面入り口がこのようになっている。

かなり凝った石彫であるが、スペインの教会はほとんどがこんな感じなのだ。
扉の上部、これは『最後の審判』を表現しているとのこと。

中央のデカいのは神、その真下には聖母子像。神の周囲では天使が角笛を吹いており、右側下段中央では大天使ミカエルが秤を持っている。この秤で魂の重さを量り、善悪を判断するのだ。
で、注目は扉の両側。

向かって左側に聖人たちが並ぶ。これが誰か、オレにはちょっとわからない^^; 一番左は聖ヨハネだと思うけど、ちっと自信が無い^^;

右側にも聖人が二人、これはオレにもわかる。左から順に聖ペテロ、聖パウロである*4
そして三人目、これが『イスカリオテのユダ』だ。

明らかに他の聖人よりも小さく刻まれ、さらには首に縄が掛かっている。冒頭の聖書通りの場面である。


・・・おっそろし。
多分、最後の審判で罪を認められた者は、このユダのようになっちゃうよ、オマエそれでいいワケ、ん? ってことを表しているんだろうと思うけど。

ちっとだけ後味が悪いかな^^; ちょうど日本のお寺さんにあるような地獄絵図を見たような感じだわな。・・・まぁ、この像が見たくてわざわざサングエサまで行ったんだけどね。



さて教会内部であるが。
通常は施錠にて内部には入れない*5のであるが、オレは特殊事情により入場させていただいたのだ。

以前、ロスキレ大聖堂で軽く触れたが、スペイン教会は重厚であるのに祭壇だけは超ゴージャスである。

背面側ステンドグラス。高い部分にしか窓がないので、『重厚』『荘厳』『静寂』という言葉がよく似合うのだが、

主祭壇はキンキラキンの極致!
このギャップがね^^;
ちなみに写っているのは、ご案内くださったドミニコ神父である。

脇祭壇も負けていない。これでもかのカラフルさ加減である。
祭壇については、日本で言うところの『北陸地方旧家の浄土真宗の仏壇』状態、だと思う。


外見だけ見ると、落ち着いた古い教会なのにねぇ・・・。

(2006/05/16撮影)

*1:フランシスコ会訳聖書からの抜粋。ちなみにフランシスコ会訳の聖書は、オレが思うに一番まともな日本語訳聖書である。

*2:イスカリオテのユダ』と呼ばれている。ちなみに12使徒には『裏切り者ではないユダ』もいる。つまりユダは二人いたのだ。

*3:ご存知でしょうが、日本に初めてキリスト教を伝えたカトリック司祭ですね。隠語ではあるが『ザビエル』と言うと、頭頂部の薄い男性を指す場合があったりして、ソッチ方面での方が有名かも。

*4:聖ペテロは鍵(天国への鍵)を持っており、聖パウロは聖書(布教の証)を持っているから。これは聖人のモチーフである。

*5:スペインでは大きな教会以外は普段は施錠されている。これは教会内にある金目のものを盗むヤツが後を絶たないから、だそうだ。正しく『地獄への道』を歩む者ども、なのである。

宇和島城天守(重要文化財)

知られている話であるが、日本に現存している天守閣は12城しかない。多くは明治時代に破却され、いくつか残っていたものも戦火で失われてしまった。
これは非常に残念なことだと思う。

その後になって、天守閣の再建だの城郭の整備だのが行われているが、『御苦労なこった』とオレは思う。手間暇かけて壊したモノを、今度は巨額の資金をかけて作り直すというあたりに、胡散臭さを感じてしまう。
ましてや再建されたモノをまた壊し、再々建までする城もあるらしい。その理由は色々あるだろうが、最大の理由は『オカネ』の問題に帰着するんだろうな、と思っている。こうした城はオレの興味を惹かないのだ。いくら『建造当初の姿に』などと言ってみても、それは不可能なことである。失われたものを元通りに再現する力など、人間は持ち得ていない。


なので当時の姿で残された城は、オレにはとても魅力的に感じられる。
ましてや天守閣・・・、う〜んカッコいい! なのである。
もちろん『まるっきり建造当時』などはあり得ない、現役時代であっても補修・改修が行われたし、その後の文化財保護による修理も入っている。この点はオレも弁えているが、これは許容範囲である。


さて宇和島城

城山の頂上に天守閣が聳えている。
・・・しかし残っているのは天守のみ、である。塀や櫓、門などはすべて撤去*1、堀も埋め立てられてしまった。

とは言っても、もちろん石垣は残っている。
城山は小さい山ではあるが、やはり頂上まで登るのは少々キツい登り道だった。

ようやく本丸到着、天守閣がど〜ん(^^)
うんうん、やっぱカッコいい!

なぜかこの天守、正面から写真を撮ると小さく見えてしまうのだな。
周囲に比較対象となるような構造物が、何も無いせいだと思うけど。

背面にまわると、それなりに大きく写るのに。
ちなみに天守閣は北西が正面、したがって午前中に行くと逆光となる。

天守内も入場可能、料金はなんと破格の\200♪ この値段は滅多にない、宇和島市は案外太っ腹なのである。
外見は三重の天守は、内部も三階建てになっている。内障子が入っている点が、とても珍しいと思った。

宇和島城の絵図、当初はかなり整った威容だったことがわかるのだ。
しかも南面はすぐ下までが海、つまり『水城』で防御も完璧である。

ただし展示されているのはこの絵図と甲冑くらい、さして見所がないのが玉に瑕。

城山から見た宇和海、かつてはすぐそこまで海だったのに、埋め立てられて市街が広がっている。
宇和島の中心部は平地が少ないので、埋め立ては致し方ないところかも知れないが。

南登城口に残っている上り立ち門、唯一の現存門なのだが、扱いがかなり粗略な気がする^^; 工事看板なんぞ立て掛けられているし、しかも『トイレ改修工事』って^^;;
この門は現存遺構と言われているが、なぜか文化財指定が宇和島市止まりなのだ。なぜだろう、別の場所にあったものを移築したんだろうか? そのそもの登城口であれば、こんな小さな門ではないと思うし。


と言うことで宇和島城天守閣は中々ではあったが、それ以外の遺構がほぼなし。しかも堀が全くないので、なんだか寂しいお城だな、とそのように感じてしまった。
堀は城の威容を保つ上で、かなり重要ポイントなのだなと納得したのである。

(2016/02/11撮影)

*1:正確には追手門が残っていたが、戦災にて消失。あとは小さな門が一つだけ残っているが、これについては後述。

戦うオネエさん(チョリータス・ルチャドラス@ラパス・チョリータの熱き戦いの巻)

さて始まったのは、三人対戦の変則プロレス。
青・白・ピンク入り乱れて、最後まで残ったチョリータが勝者となる仕組みである。

まぁ定石ではあるが、二人組になって残る一人を痛めつける方針なのだ。

場外乱闘なんかもやっちゃったりして^^;
でもなんだか、女同士のけんかを見ているみたいで、ショー的要素がイマイチ少ないなぁ・・・などと思っていたら、

後半に入ってヒートアップ、なんとムーンサルトまで繰り出したのだ! これには堪らず、白ダウン。
ここからピンクの猛攻開始、次いで青にはプランチャを仕掛け、ピンク優勢かと思いきや、

最後は青の連続ボディプレスにて試合終了、青の圧倒的勝利だった。


続いての試合は、チョリータ VS 覆面レスラー。

レフリーまで覆面、要するに『悪の覆面軍団にチョリータ危機一髪』と言う非常にわかりやすい図式である。

チョリータ、負けじとドロップキックをお見舞いだっ!

しかし覆面軍団はやることがコスい。
二人攻撃の連続アンティプラソ(ラリアットのこと)で、チョリータを痛めつける。こうなるともう、会場はブーイングの嵐である。
かなりしつこく二人攻撃が続き、チョリータもふらふらの状態となる。

と、一瞬の隙を突いてのプランチャ炸裂! がんばれチョリータっ!!
チョリータの技が決まると、割れんばかりの大拍手なのだ。これにてチョリータ、形勢逆転である。

最後はレフリーを場外に蹴落とし、トップロープにいた覆面を抱え上げてのエビ固めにてスリーカウント。もちろんカウントは客席からのコール、『ウ〜ナっ! ドゥスっ!! トレィスっ!!!』で勝利決定、やったぜチョリータ♪ ってなモンである(^^)


チョリータ・ルチャドラスは、『オヤクソク』で固められたショービジネスなのだが、それがある意味で様式美まで進化していて、観るモノにとっては非常に楽しい。
ナショナルジオグラフィックの記事に依れば、彼女たちは昼間は普通の仕事をしていて、プロレスのある日だけ戦うらしい。なので絶対に怪我などをしてはならないのだ。観客もそこは弁えて、それでも大声援を送っている。もちろんオレも大声援、ものすご〜く楽しかった。


この後も試合は続いたが、チョリータの出番はもうオシマイ。残りは男性によるタッグマッチが2試合、こちらはかなり本格的なプロレスだった。
これはこれでかなり楽しめたし、場外乱闘時に選手とハイタッチしたりしてテンションマックス! その直後、オレがハイタッチした選手がオレの隣の座席に叩き付けられたりして^^; 少々ビビったが、テンションが下がることはなかった。


全7試合を観て3時間ほど、ドキドキワクワクでとても見応えのあるショータイムだった。


試合後のチョリータ達、化粧もかなり落ちてしまい、一仕事終えた感があるな。『さてウチに帰らなきゃ、今夜の食事は何にするの?』などと話しているのだろうか。


会場を出たら外はすっかり夜、陽が落ちた街はものすごく寒かった。別の意味でドキドキしながら*1、またロープウェイでラパス市内に戻ったオレだった。

(2017/06/18撮影)

*1:20時過ぎの泥棒市場は、男達があちこちで焚き火なんかしていて、危険度MAXだったのだ^^;

戦うオネエさん(チョリータス・ルチャドラス@ラパス・華麗なるチョリータ登場の巻)

ラパス、と言って『あぁ、アソコね』と気付く人は少ないと思う。
ボリビアの首都*1なのだが、そもそも『ボリビアってドコ?』となるかも知れない。南米はペルーの下、チリの上にある内陸国である。近年、何かと話題の『ウユニ塩湖』がある国だ。


ラパスはアンデス山脈の真っ只中にある街だ。標高は3600mほど、富士山の山頂とほぼ同じくらいの所に100万近い人々が住んでいる。『マジかよ?』の世界である。

市街は盆地、と言うより『擂り鉢』の底に広がっているが、人口の増加はどんどん山に向かって行き、今では山の向こうまですべて家が建っている。画像の山腹が茶色いの、これは山肌ではなく家々、壮観である。


・・・などとお気楽なことを言ってはよろしくない。
山肌の家々はつまり、擂り鉢の底からはみ出ちゃった人々が住んでいるので、はっきり言うとスラム化している。この景観即ち、貧富の差が目に見える状況となる。

ちなみに山の上はエル・アルトと言う都市、ラパス空港*2があるのだが、非常に治安の悪い街として有名である。・・・まぁ、ラパスの治安の悪さも有名だが、さらにその上を行っちゃってる状態なのだ。


で、わざわざそんなエル・アルトに向かう。

ラパス 〜 エル・アルト間はタクシーやバスで結ばれているが、他にもロープウェイが運行している。治安の悪さに比例するかのように交通渋滞が激しいので、オレはロープウェイを利用、往復で6.0ボリビアーノ*3となる。
ロープウェイは次々にやってくるので、1台くらい乗り遅れても何の問題も無し。乗車中は遙かにアンデス山脈が望まれ、一方では真下に人々の暮らしが丸見えで、その対比にはかなりもの思うことの多いルートである。
ロープに遮られているが、雪を戴く山はイリマニ山(標高6439m)である。

で、途中に駅を一つはさみ、終点の山頂駅*4に到着。


駅の目の前にはマーケットが広がっている。ココ、通称が『泥棒市場』^^; 名称からして治安の悪さを物語っているのだな^^;;
『ラパス市内で盗難に遭っても、泥棒市場に来れば盗まれたモノが見つかる』・・・ってなところが名前の由来、もちろん盗難品が見つかったからと言って、無料で返してもらえるはずはない。怪しさを通り越して、全くもってケシカラン市場である。
しかもココはスリ・カッパライの横行地帯、『カメラは絶対に出さないこと!』が不文律だ。なのでスマホでさりげに撮影、サッと出して画面を確かめもせずピッと撮って即収納。

市場ではなぜか、昆布茶を売っていた。
日本の裏側に当たるボリビアの、しかも泥棒市場で昆布茶とは、まぁ! ・・・まさか盗品ではあるまいな?

それにしてもこの場所、標高が4000mを超えているので、歩いているだけで息がすぐに上がってしまう。一応はペルーから徐々に高度に慣れるような日程で移動してきたので、高山病までにはならなかったが、少々急ぎ足で歩いていると、軽く頭痛が起こるし。


ところで、何のためにこんな危険地帯まで来たかと言うと、コレっすね。

『チョリータス・ルチャドラス(Choritas le Chad las)』、『チョリータ』とはアンデスの民族衣装*5を着た女性のこと、で『ルチャ』は戦い、つまり直訳で『女の戦い』、チョリータによるプロレスショー、コレを見に来たのだな、わざわざ。
かなり以前、ナショナルジオグラフィックの記事で見て、なんともすご〜くワクワクして、機会があったら見てみたいモンだと思っていたのである。


50Bolの料金にて会場に入ると、そこにはすでにリングが設置されていた。熱い戦いの予感、である。

場内は階段席とリングサイドのイス席、ドコに座っても自由とのことで、ありがたくリングサイドの一番前に着席。ジックリ観戦させていただこうか、とオレも気合い満々なのだ(^^)


まずは男性によるプロレス対決。

さほど派手な技を繰り出すわけでもないのね〜、などと思っていたら、

プランチャ攻撃炸裂だぁ!
あくまで『ショー』がメインなので、徹底的な攻撃はしないものの、やはり見せ場は作るのだな。
それにしてもレスラーの皆さん、この酸素が薄い状況でよくあんな過激なことができるよね。


そうこうするうちに、オネェさん達の会場入り。

これは控え室に移動する前のワンシーン。どうやらこの会場、入り口が一つしかなくて、控え室に行くには会場を通り抜ける必要がある模様^^;
でも近くで見たチョリータ達は、割とキレイな人じゃんか。プロレスをやるからもっとゴツい感じかと思ってたんだけどね。

で、改めて舞台上から登場。音楽とリングアナウンスで会場も超盛り上がり(^^)

にこやかに拍手アピールで場内を一周、この際になにかちっちゃいモノを客席に投げていた。オレも運良くゲット〜っ!

ビーズで作ったサラマンダー。これはお土産として進呈とのことである、ラッキ〜♪

中には少々年季の入ったオネェさんもいたりして^^;


これからチョリータの熱い戦いの始まりだっ! その模様は次回にお届け、なのである。

(2017/06/18撮影)

*1:ボリビア憲法上では、首都はスクレ(Sucre)となっている。しかし行政府と立法府がラパス(La Paz)にあり、こちらが事実上の首都となっている。

*2:正式名称は『エル・アルト空港』

*3:ボリビアの通貨単位、以下Bolと略す。1Bol = 12円前後(2017時点)のレート。

*4:『Blue Line Cable Car station 16 De Julio』駅、やたら長いが『7月16日通り駅』ってこと。

*5:ペチコートを何枚も重ねて膨らんだスカートに長いショール、長い三つ編みを後ろに垂らして山高帽を被ったあの姿のことね。

旧日本郵船小樽支店(重要文化財)

小樽は古くからの建物がたくさん残っている、まさに『近代建築の宝庫』というべき街である。しかも、オレの大好きなレンガ建築がかなりある。
うれしいことに小樽では、これらを『市指定歴史的建造物』として保存しており、情報公開を行っている。
もう飛びつくわね、オレ。


で、色々見て回って、最後に行ったのが旧日本郵船小樽支店だった。この時点で、夏の陽は傾き加減となっていた。

画像を御覧の通り、完璧に逆光である。
時間配分を間違えてしまった模様だ・・・、残念。折角の重要文化財も、これでは台無しじゃんか。


どうしたモノかと思ったが、傾いた陽に向かって『戻れ!』と言うワケにもいかない。そのような昔話があったが、その中では陽は戻ったはいいけれど、翌朝になると全財産を失ってしまったそうである*1
全財産を失うのはイヤだ。

少々の思案の結果、この日の宿が余市だったので、翌朝ちっと早出をしてまた撮影すればヨシ、このように結論づけた。
夕方が逆光なら朝は間違いなく順光だろう、どうせ旭川まで行くんだから道中に寄り道すればいいさ、オレ賢〜い(^^) ってなモンである。


で翌朝。

大満足の順光だった。しかも昨日の空より、クッキリとした青空ではないか♪

角度を変えてあちこち撮影。

さすがに朝なので、噴水は止まっているね。これはちっと残念だね。

逆方向からもパチリ。

これはすぐ隣の建物、旧日本郵船倉庫である。
こちらは文化財指定ではないが、小樽の歴史的建造物になっている。


玄関先の細かい意匠もカメラに収めて、と。
外回りは十分堪能したし、さて中に入ってみようか・・・って、オイ^^;


開館時間前だったのである。
昨日は昨日で、閉館時間に40分ほどあったのだが、余裕ぶっこいて『まぁ、明日でいいよね^^』などと中に入らなかったのだな。
オレ、ちっとも賢くねぇ、ってか文字通りの『マヌケ』だよ。開館の時間くらい確認しておけよっ!


このような失敗はたまにある。
イイ年をして、もう少し落ち着きたいモノである。

結局はこの後の予定もあり、開館時間を待つ余裕もなかったので、小樽支店の中に入ることはできなかった。
なのでまたいつか、機会を作って見に行こうと思っている。

(2015/07/16撮影)

*1:湖山長者伝説ね。

王たちの眠る場所(ロスキレ大聖堂@デンマーク・聖堂内で観たモノの巻)

唐突であるが。
コペンハーゲンの旅行において、とても便利な観光パスがある。その名もズバリ『コペンハーゲンカード(Copenhagen Card)』だ。
詳細はググっていただきたいが、美術館・博物館・宮殿・教会などの各種観光施設が無料になるほか、市内の地下鉄やバス、さらには近郊鉄道まで賄えるスグレモノのカードである。空港のツーリストインフォメーションで購入可能なので、到着時に作ればそのまま市内への鉄道移動に使えるのだ(^^)


ただし注意点がいくつか。

  1. 作成日も利用可能日数にカウントされるので、到着時刻を考慮すること → 初日は市内移動にしか使えないこともある。
  2. カード代金と観光先の入場料合計を比較検討すること → 買ったはいいが、あまり観光しないと最終的に赤字になる可能性が大である。
  3. 目当ての施設が入場制限で入れない場合もある → このカードは優先パスではないので、入場行列も考慮しないと予定が狂うこともある。
  4. 購入代金はかなり高い! → そもそも北欧諸国は物価が高いので致し方なし。なのでカード代金に見合う施設を回れるのか、事前の検討が大事である。

要するに予定をシッカリ立てて、効率よく観光すれば無敵のカードなのだ。


で、何が言いたいかというと、ロスキレまでの往復、および大聖堂の入場料がすべてコペンハーゲンカードで賄えたよ、と。そういう話なのだな。オレにとっては旅行中とても助かったので、この場を借りてのご紹介なのだ*1
ちなみにココで紹介したからと言って、バックマージンなどは一切発生していない。



さて、本題に戻るとするか。


ロスキレ大聖堂の内部、それはとても豪華である。なぜならここは、デンマーク王室にとって最も重要な教会だからだ。

正面祭壇である。プロテスタント系教会*2にしては、かなり豪奢な祭壇となっている。
祭壇をアップすると、

すごっ!
あまりのキンキラキンさに『ココはどこ? もしやスペイン?』と思ってしまった^^;*3

これは王族の専用席、二階部分に設けられている。やはりキンキラキンなのだ。

巨大な絵画も飾られていたり、

脇陣への入り口は見事な装飾となっている。


これらはすべて、王族のために用意されたものなのだ。
どう言うことかというと、この聖堂は王家の墓所なのである。なのであちこちに棺が安置されていて、言わば『棺の美術館』ってな様相を呈しているのだな^^;



まず、聖堂内に入ると後陣部分に棺が安置されている。
とても美しく、芸術的な棺である。ただ『この中は多分骨、でいいのかな? でも、もしかしてまだ腐・・・』と言う感じがする。なぜなら、さほど古くない年代だったので^^;

先程の巨大絵画の下にも、棺がずらっと並んでいる。多分この絵は、ここに安置された王の偉業を称えているものと思われる。

見事な装飾の脇陣も、中に入ると棺である。うん、きっと骨が横たわっているはずだ、だって古いしね。

祭壇の後ろにも棺、こちらは非常に芸術性が高い。

一際見事な棺である。場所も祭壇の真後ろ、かなりの権力を有した女王だと思っていたら、この方こそマルグレーテ1世*4だった。

こちらはかなり興味深い棺、戦闘時の装束のままで葬られている。戦いの最中に亡くなられたのだろうか。それでも白い大理石には、あちこちに宝石が散りばめられている。

そしてまた豪華な棺、彫刻だけでもすごいことになっている。棺を作るのも気の遠くなるような作業だろうな、と思う。


と、ここまでは、あまり内部の状態を気にすることなく見て回ることができた。ここまでくると棺とは言え、芸術作品そのものである。
そして最後の部屋。

これまた一段と派手やかな。

そしてこちらは特別扱い、天蓋まで付いているのだ。よほど偉大な王だったのだろう。


ところが^^;
この最後の部屋だけ、何かしら臭うのだな。
今までは全然感じなかったのに、かす〜かに漂うアノにおい。
ご葬儀に際して、それがことに夏場だったり、あるいは事故によりお亡くなりになった場合に、オレも嗅いだことのあるアノ・・・^^;;



これ以上書くのは憚られるが、つまりは美しい棺の中で何が起こっているのか、一瞬にて現実に引き戻されたオレだった。

(2015/09/19撮影)

*1:デンマークにおいては鉄道移動が多かったので、オレは結果的に元が取れた。どころか大節約ができたのである

*2:まぁ本来はカトリック教会だったワケだが^^;

*3:スペインの教会は祭壇装飾が非常に派手で有名である。実際はこの程度だとスペインには及ばないが、北欧の教会にしては飛び抜けている。

*4:1353〜1412年在位。立場は摂政であり女王ではないが、北欧諸国を実質的に支配した。