ドラクエの城(オラヴィンリンナ@フィンランド)・後編

前回からの続きで、オラヴィンリンナの内部について。


ツアー参加者の6名は国籍がまちまちだったので、ガイドさんは英語・フランス語・フィンランド語にてツアーを進行、最初はすげぇ! と思ったが、後々面倒なことが判明。なぜなら三カ国語で同じ説明を繰り返すので、中々先に進まないのだ。ちなみにこの方は、非常に聞き取りやすい英語で話す女性だった。
まずは入り口からすぐのホール、そして隣接する礼拝堂から始まって、徐々に内部へと進んでいった。

階段を上り、城壁内側にある通路を渡っていく。
この通路からは、城壁内部の部屋を結ぶ外廊下が見下ろせる。

室内から外廊下への出入り口は、一見窓のような造りとなっていて、敵が侵入してきた場合でも見つからないような工夫がされている、とのこと。
うむ、ダンジョン的である。ドラクエに一歩近づいた感がする。


続いて第一塔に進入。

これは何?
ここだけ不自然に木枠がはめられており、その中央に穴。オマケに蓋が付いている。
そうご明察、これはトイレである。排泄物は外に垂れ流しなのだ^^; それにしても穴が少々小さいような気もするが、昔の人はこの程度の穴で用が足りたのだろうか、謎である。

トイレの外観はこんな具合。塔の中程、左側の小さな出っ張り部分がトイレに当たる。
写真では判然としないがトイレの真下は湖、垂れ流しとは言ってもある意味では水洗である。機能的な気もするが、真冬に湖面が凍った場合はどうなるのだろう。あまり考えたくない光景が出現すると思う。
それにしてもホンモノのドラクエ城には、トイレなどなかったような気がする。この点は現実と仮想の差である。


これは第一塔と第二塔をつなぐ廊下、ちょうど第一塔の出口部分に当たる。
ガイドさんの話では、ここに幽霊が出る、と言う。古城に幽霊、よくある組み合わせであるが、『夜、外から見た時に、誰もいないはずのこの廊下を、灯りが行ったり来たりする。時には人影がこの窓から覗いている』とのこと。ビミョ〜に胡散臭い話である^^;
なのでオレ、思わず"Really?"と聞き返してしまったら、「オラヴィンリンナのゴーストはとても有名な話で、何人も目撃者がいるのよ。あなたも夜に見に来ればわかるわ」だって。うん、だからさ、『そういうあなたは見たの?』とツッコミたいのは山々なんだよね。とりあえず"Oh,scared."とだけ返しておいた。


さてここは第二塔の最上部、特に何もないガランとした空間だった。もちろん宝箱などは置かれていなかった。

と思いきや、なんと隠し階段が出現。ダンジョン度、またちっと上昇である(^^)


んで、次はどこ見せてくれるの? と期待していたのだが、これにてガイドツアーはおしまいであった。もう一つの塔が残っているのに、案外アッサリ終わるのね、8ユーロだとそんなモンなんすかね。
あるいはガイドさんが、三カ国語で同じ話を繰り返し説明するのにウンザリしてしまったのかも知れない。だって当初の話では、『ガイドツアーは1時間』と言っていたのに、正味のツアー時間は40分少々だったし。もしかしてオレ、フィンランドの片田舎でボラれたのだろうか?


さてこの城、地下室はなかった。正確にはホールの真下に半地下的な部屋があるそうだが、そこは倉庫とのこと。元々が岩むき出しの島なので、地下室を造るのは困難だったからだろうとガイドさんは言っていた。
地下ダンジョンがないのでは、ドラクエ城とは言えないと思う。


「後は中庭や屋外を好きに見ていていいですよ〜」と体よくガイド*1に追い払われ、内部見学は終了。もしや庭方面になんかあるかもと思い、あちこちを探検してみた。

中庭の最奥部には水路が造られていて、『そう言やドラクエ、こんな城あったよね〜、どのシリーズだったけ?』と思いつつ、そうきたら行き着く先は当然こうなるだろうと城壁の外に出てみると、

やはりあった、ボートの出入り口だね(^^)


他には別に、隠し階段や隠し扉があるわけでもなく、石壁でズズ〜っと囲まれているだけのいたって普通の城だった。
・・・まぁ、初見のしかも旅行者がアッサリと隠し扉を見つけられるわけない、とも思うけど。

と言うことでオラヴィンリンナ、ドラクエ城のモデルかと言われると『強いて言えばそうかもね〜』ぐらいの感想となる。この噂の出所は、一体どこなのだろうか? ウワサはいつも、当てにならないものだな。

とりあえず『ドラクエ城』という先入観を差し引いて、中世の城という点では中々に興味深いところだった。そもそもフィンランド、他にオレの興味を引くような観光地も大して無いし。


ところでどちらかと言うと、オレが興味を持ったのは城よりこっちである。

城のすぐ上手にある鉄道線路橋、ここは人道橋も兼ねているが、オラヴィンリンナ入り口の橋と同様に、こちらも船が通過できる仕組みになっていたのだ。写真手前の橋の切れ目に沿って、橋自体がグィ〜ンと持ち上がる仕様になっている*2
船が通らないかな〜としばらく待っていたが、ちょうど通りかかったオニィちゃんに「船は朝しか通りませんよ」と教えて貰ったので断念。こっちこそ見たかったと今でも思っている。


なお、城内ツアー時に同時購入した博物館チケットについてであるが。
もちろん行ってきた。でもそこは『博物館』ではなく、『郷土資料館』だった。"Museum*3"って言っていたのにぃ!

展示物は石器時代の出土品やら、湖の生物、あるいは湖での漁具や昔のボートなど。こんなん、世界中どこに行っても似たようなモンだっつーの、わざわざフィンランドまで来て見たくもないわい!
肝心の城関係の展示は皆無、なので残念感をもって風のように通り過ぎたオレだった。せめてもの救いは、料金1ユーロという点だけなのだ。


こうした具合で、15:30サヴォンリンナ発のローカル線にまた乗って、パリッカラ経由にてヘルシンキに20時ちょい前の到着。
丸一日がかりのドラクエ城検証は、確証を得ることはできなかった。けれど、いろんな意味で『人生の深み』という点において、経験値が上がったと思っている。

(2015/09/26撮影)

*1:この時点でなんだかビジネスライクに扱われたので、もはや尊称は付けないのである。

*2:写真奥、トラス橋の手前にも切れ目がある。よって片側だけが持ち上がる仕組みではない。橋の一部が持ち上がるのだ。

*3:" Local museum"と言われれば、オレもチケットを購入しなかった。

ドラクエの城(オラヴィンリンナ@フィンランド)・前編

ドラゴンクエストシリーズ、やぁ〜ハマりましたね、オレ(^^)
そのシリーズIの中に、『竜王の城』というダンジョンがあった、懐かしいねぃ!

竜王の城のモデル、と言われている古城がフィンランドにあるので、ドラクエに惹かれて行ってみた。
その城の名を『オラヴィンリンナ*1』と言う。さて、本当にドラクエ城なのだろうか。


オラヴィンリンナはサヴォンリンナという街*2にある。首都のヘルシンキから約300Km、基本的に鉄道で行くしかない街だ*3。なのでフィンランド国有鉄道(略してVR)のサイトから乗車券を予約し、成田からヘルシンキまでかっ飛んだ次第。なお、この際のフライトが中々にスリリングだったのだが、それはまた別の話。


さて、ヘルシンキ中央駅はこんな具合。

『中央駅』を名乗る割にはこぢんまりとした駅で、しかも朝の7時前なので余計に閑散としていた。画面中央がオレの乗るインターシティ*4である。

時間もたっぷりあったので、ホームの端まで歩いて行って前面もパチリ。

中ほどの車両にはこんなイラストもあった、ちっとお茶目。しかし本を抱えた猫が、特急列車に何の用事があるかは不明である。
で、定刻の7:12に列車は出発〜(^^) これから乗換を含めて4時間ちょいの鉄道の旅である。


・・・オレは車窓風景を期待していたのだが、この点はかなりガッカリであった。

基本的に荒れた林が続くばかりで、たまに平地があってもこんな感じのウラ寂れた景色ばかり。畑も穀倉地帯的にず〜〜〜っと小麦が波打っているような景色はなく、割合こぢんまりで、どちらかというと日本の沿線田園風景に近いものだった。とても退屈である。まぁ9月だったので、フィンランドとしてはもうすぐ冬の時期だから、寂れ感が強かったのだとは思うが。



乗換駅が近づいた頃、ようやくフィンランド的な景色になってきた。有名な湖水地方である。
10:26に乗換のパリッカラ(Parikkala)に到着、それにしてもフィンランド、人名もそうだが地名もかなり違和感があるな。

で、目の前で待っていた地方線に乗り換え。2両編成のディーゼルカーなのだ。ちなみに猫はいなかった。
ここからは湖の合間を縫うように列車が走っていった。とてもきれいな景色だったが、最悪なことに列車の窓が汚れきっていて、カメラに収めた景色はドロドロ、ある意味ホラーになってしまった。VRは窓にも心を配ってほしいものである、車内は非常に清潔に保たれているのだからさ^^;


ところで湖水地方、大小様々の湖が連なっているのだが、それらをつなぐ川というか溝というか、表現が難しいが、短い水路があって湖同士がつながっているワケで。それはそこそこ長くても10m前後なので、川と呼ぶにはいかがなものか、しかしそれなりの幅もあるので溝ではないだろう。
ともかくそれら水路は、目に見えるほどハッキリとした流れになっているのだった。


オレは単純に、湖水地方とはゆ〜ったりとした湖がいくつもあって、互いにつながってはいるものの、全体としてデカい湖を形成している、つまり特に流れなどはないと思っていたので、これには少々驚いた。流れがあるからには、いずれは海に通じるわけで、つまり湖水地方とは湖の形をしながらも巨大な川、ということになる。
やはり何事も自分の目で見ないと、真実は理解できないものである。


それはともかく。
11:27に列車は終着駅のサヴォンリンナに到着。湖に囲まれたホーム一つだけの小さな駅だった。
ここから歩いて10分少々、湖の小島に浮かぶオラヴィンリンナが見えてきた。

コレはドラクエ城?
・・・雰囲気はあるような気もするが・・・、ちっとムリがあるんじゃね? と言うのが遠目から見た正直な感想である。
島なので橋を渡って入城する(上の画像でオレンジの輪っか(浮き輪)が付いているところが橋)。


オレが渡り終わったら、なんとっ! 橋が回転するではないか!!
これでこの城は地上と切り離されてしまった、まさにダンジョン。これがドラクエ城と呼ばれる所以かっ!?


・・・んなバカなことはなく、単に船が通るから橋を動かしただけである。この城がある島を挟んで、右岸が上りで左岸が下りの一方通行路になっているだけなのだ。たまたまオレがタイミングよく橋を渡ったと、それだけの話である。でもちっとビビった^^;


城門をくぐった中庭はこんな感じ、この城は三角の敷地に建っている。この点もドラクエ城とは異なる、だってあっちは四角だも〜ん。


城内に入ると鎧の騎士がお出迎え、ピカピカしているからレプリカかも知れん。・・・かなり疑り深くなっているオレだった。


タダで見学できるのはここまで、あとは有料ガイドツアーで城内を巡るのだ。ツアーのみなら8ユーロ、博物館の見学を追加すると9ユーロ*5、もちろんオレは博物館追加の料金を支払った。ちなみに博物館は城内ではなく、橋の向こうの公園内にある。


と言うことで、外観は微妙にハズしたが、内部は果たしてドラクエの世界なのだろうか。
次回に続く。

(2015/09/23撮影)

*1:"Olavinlinna"と書く。ネット上では『オラヴィリンナ』または、『オラヴィリンナ城』と書かれているが、どちらも間違い。前者は"Linna"の前の"n"が欠落しており、後者は"Linna"=『城』(フィンランド語)なので、この語が重複することになる。したがって日本語に訳すなら、『オラヴィン城』が正解。

*2:"Savonlinna"、前注の法則に従うと『サヴォン城』となるが、そのような城は存在しない。

*3:不定期ながら空路もあるが、オレの旅行中は閉鎖されていた。

*4:VRの特急列車。各車両2階建てで、中々に快適な列車だった。

*5:2015年時点の料金である。

カトリック江上天主堂(重要文化財)

鉄川與助氏(故人)、という方をご存じだろうか。
『教会建築のパイオニア』と呼ばれている、長崎出身の建築家である。
江上天主堂は鉄川氏の設計・施工によるもので、長崎県五島列島奈留島にある。


生涯に手がけた教会堂は50近くと言われているが、その内の24聖堂が現存しており、5聖堂が国指定重要文化財、3聖堂は長崎県文化財指定を受けている。
さらに24聖堂の内の4聖堂は、世界文化遺産候補ともなっている*1。こんなスゴイ日本人、他にいないでしょ?*2
しかもこれらの建築は、基本的に独学で覚えたもの。基礎は宣教師であるカトリック司祭*3から学んだそうだ。


・・・ここまでの話は、偉業ではあるがあくまで結果の話。オレが鉄川建築に惚れ込んでいるのは、こうした後付けの部分ではない。
この方の造った聖堂は、重厚だったり優美だったり、あるいは簡素だったりと様々だが、どれも共通しているのは、細部が丁寧であること。目立つ部分だけではなく、気付かないようなところにも思わぬ意匠が施されている。
長崎方面にこうした古い教会が多いことに気付き、誰が造ったのか確認するとアレも鉄川建築、コレも鉄川建築、さらに調べて偉業の話を知ったという次第。


さて江上天主堂、ここに行くはフェリーしかアクセス手段がない。しかも直行便がないため長崎〜福江(乗換)〜奈留ルートになり、かなり不便な場所である*4

ちにみに本題とは外れるが、この島にある県立奈留高校は、ユーミンの『瞳を閉じて』を愛唱歌*5としている。この話でどの島か、気がつく人もいるかと思う。


ともかく、はるばる海を渡り、江上天主堂に行ってきた。

外見は簡素な木造の聖堂、しかし堂内は全く違う空間となる*6


リブ・ヴォールト天井*7、三廊式*8の完璧なゴシック様式となっている。見事。


玄関の上部はアーチ状にくり抜かれ、そこに半円形の桜の花をあしらっている。


屋根を支える化粧垂木は雲形にしつらえ、それぞれの間に四つ葉、つまり十字架の形があしらわれている。
こうした隠れた意匠があちこちにあり、それを見つけ出すだけではなく、その意味を考えてるのもとても楽しい。これぞ鉄川建築の醍醐味である。


鉄川氏は仏教徒であり、司祭からどれだけ誘われても改宗をしなかったと聞く。しかしキリスト教への理解は、非常に深かった方だと思う。

(2008/03/01撮影)

*1:長崎の教会群とキリスト教関連遺産』にて、教会を含む集落が重要文化的景観とされている。

*2:辰野金吾氏の作品が8件の重要文化財指定を受けているが、内4件は共同設計である。また世界遺産については、指定・候補ともにない。

*3:神父さんのこと。

*4:2018年現在の話。オレが奈留島に行った頃は、長崎からの直行があったのに。

*5:校歌は既に存在していたので、愛唱歌である。一部では『校歌』としている情報もあるが、それは正確ではない。ただし実質的な扱いは、『校歌』とのこと(島の訪問時に在校生から教えて貰った)。

*6:内部は基本的に信徒以外は立ち入り不可、普段は施錠されている。オレはきちんと許可を取って、堂内の撮影をさせていただいた。

*7:半円型の天井を、柱から伸びたアーチ状の筋(これがリブ)で支え、上部空間をより高く見せる建築様式。

*8:中央に大ゲート(身廊)、左右に小ゲート(側廊)が設置され、それぞれを柱で区切った建築様式。

名草神社三重塔(重要文化財)

兵庫県の山の中にとても優美な塔がある、という情報を得た。あちこちのサイトを検索して見ると、本当に美しい塔だった。これは是非行かねば!
しかし『山の中』の部分が引っかかる。どんだけ山の中なんだろうか? 地図を調べると、これまた本当に山のど真ん中。航空写真では、緑一色の中にポツンと塔らしき影が写っていた。
・・・マジかよ?


しかし地図上にも道が掲載されているし、航空写真でも道路の形跡が確認できる。道さえあれば行けないことはねぇだろ、大丈夫大丈夫、きっとダイジョ〜ブ〜♪ ってなノリで、旅程を作成した。

で、行ってきたワケであるが、結果的に言うと大丈夫であった。ただし、ある意味ダイジョ〜ブではなかった。


ダイジョ〜ブではなかった理由はコレ。

神社への道は道路であったが、オレはこのような道を『林道』と呼び、オレの中では道路扱いをしていないのだ。ここは一応舗装はされていたが、対向車が来たら一発アウト、しかもクネクネ道なので神経も使う。あまり好みではない道である。


でも他に道がないのだから仕方あるまい、コレを突破するしかない! で、クネクネ走ること30分少々にてようやく名草神社に到着。


おぉ! 聞きしに勝る美しさ!!
均整のとれた重層に屋根は杮葺*1、さらに反り返った軒先と、オレの好みを確実に押さえている。惜しいのは朱塗りの点だが、この姿であれば失点*2とはならない。イヤむしろ、この場合は加点要素である。


到着した時間もちょうどいいタイミングだった模様で、夕方の柔らかい陽射しが、塔をより美しく見せていた。光の角度もバッチリだ。

この塔は室町時代の1527(大永7)年に完成したのだが、本来は出雲大社に造営されたものである。
時は下って江戸時代、出雲大社の寛文御造営に際して、名草神社の山から杉を造材として送ったところ、その御礼としてこの塔を譲り受けたそうだ。
で、1665(寛文5)年に移築完了、この時は船で日本海を渡って、解体した塔を運んだとのこと。海からは人力で運んだそうで、と言うことはオレがクネクネ登ったあの道を使ったワケか。
なんとも壮大な話であり、また塔を御礼に使うとは優雅な話でもある。


さて名草神社を訪問したのは5月頭、晩春と言うより初夏に近い気候だったが、さすがは山の中。

社務所は雪囲いで覆われ、そこには残雪が残っていたし。

一方では桜が満開、里よりは一ヶ月ほど気候がずれてるらしい。


この時期まで雪が残るからには、降るときは大雪となるワケで。

本殿(重要文化財)は大雪により屋根が大破、無残な状態であった*3


それにしても美しい塔だな。

また今度、もう一度行ってみたいと思っている。


住所:養父市八鹿町石原1755-6
道路:妙見山宝物資料館という地点から先が林道、クネクネ細道をひた走る。途中の分岐は2ヶ所で、最初は左、次を右に進むこと(多分30分で到着するのは難しい人が多いと思われる)。

(2014/05/02 16:00〜撮影)

*1:屋根は瓦よりも檜皮、あるいは杮葺の方が美しいと思う。

*2:オレは基本的に朱塗りの建物は好まない。白木の方が美しいと思う。

*3:2018/03時点で本殿と拝殿の修復工事中、2020年に完工予定である。

灼熱街道

エジプトに行ってきた。
エジプトったらピラミッドではあるが、オレの目的は別の場所*1、アブ・シンベル神殿である。

ご存知ですか? アブ・シンベル神殿。アスワン・ハイ・ダムの建設で湖底に沈んでしまうところを、ユネスコによって移築保存された貴重な遺跡である。この移築工事をきっかけにして、ユネスコによる『世界遺産』が創設されたのだな。しかしアブ・シンベル神殿は、世界遺産登録第一号ではない*2。なんか矛盾してないか? ユネスコさんよ?


それはともかく。
アブ・シンベル神殿までの道のりは、カイロ〜アブ・シンベルのフライトにてアブ・シンベル市一泊、翌早朝からの神殿ツアーが一般的である。しかしオレが予約をした時点でアブ・シンベルルートは満席、このためカイロ〜アスワン間の航空券しか取れなかったのである*3
飛行機大好きのオレにとっては、かなりの痛手、そして旅程からしても痛手。でも無いものは止むを得ない、オレはアスワン〜アブ・シンベル往復の日帰りツアーを利用することにした。

かくして不満の残る600km弱の砂漠往復ツアーとなったのだが、後になってみればこれは大正解。非常に楽しい時間を過ごすことができたのだ*4。今回はその顛末を書くことにする。


さてツアー当日、10時きっかりにガイドのモハメド君が、オレをホテルに迎えに来た。会うなり言うには、「本当はもう少し遅くてもよかったけど、このホテルはちょっと大変なところにあるから」と。
そう、オレが泊まっていたホテルはナイル川の中州にあって、いちいちボートで渡河しないと街に出られないシステムだった。ちなみに本来のツアー開始時刻は10:30である。
そんなんでモハメド君とナイル渡河、ボートの中で彼はiphoneを取り出してオレを撮影、すかさず自分のフェイスブックに写真をアップして「これであなたもエジプトの有名人だ」だと。モハメド君、日本語がうまい上にジョークセンスもナイス、気に入ったゼ!

で、渡河後は車に乗り込み、集合場所へ行くと言う。『集合』と言うのがイマイチわからなかったが、着いたのはココ。

切りかけのオベリスクがある広場である。ここでツアーの全体がそろうのを待つそうだ。ちなみにオベリスクは見ていない、ちっと残念。


さて今回のツアー、計7台のワゴン車にて7組の観光客がアブ・シンベルまで移動するそうで、つまり各車は貸し切り状態となる。で、先頭から1号車・・・となって、奇数号車にはライフル携帯の警官が同乗するとのこと、すげぇ物々しいな^^; これがつまり『集合』ってことね。
オレは4号車に割り当てられたので、ポリスなし。モハメド君とドライバーのアリさんのみ、ワゴンの後部座席はオレの独占であった。


かくてツアー開始、砂漠の中をひたすら走るのだ!

どこまで行っても砂漠、山なんぞほぼなしで、オレは初めて360度の地平線を見たよ。完全なる地平線、日本では絶対に見ることができない光景は、かなり感動ものだった。
道々モハメド君が言うのは、「観光客を分散させるのはテロ対策ね。ポリスもそれで乗っている」だって。つまり襲撃された場合でも、少なくとも数台は逃げ出せるようにして、被害者を減らすのが目的と言うこと。
エジプト、やはり物騒である。


物騒ではあるが、そこはやはりエジプト人。1・2・・・7号車の隊列も途中から乱れだして、って各車追い越したり越されたりのカーチェイスが始まった。しかも150〜60km/hの速度で! すっげ〜楽しい〜♪*5
アリさんもかなりのスピード好きと見えて、いつしかオレの車は先頭を突っ走っていたのだな。砂漠の真ん中カーチェイス、ポリス乗っけてカーチェイス、これほど楽しい余興があるだろうか。しかしここでテロに襲われたら、オレは間違いなく死ぬだろう^^; 後続車は遙か後ろ、その上武器もなしだし^^;;


と、そんなんするうちに、車窓の景色に変化が現れた。

ん? 何アレ?
遠くの端っこが盛り上がっているような?


・・・蜃気楼じゃ〜ん!
初めて見たよ、蜃気楼! これぞ噂の砂漠の幻、灼熱の中でしか見ることができないというアレ。やぁ〜まさか、こんなオマケまで付いてくるとは!!
不満どころか感動の嵐、砂漠縦断の日帰りツアー最高である。飛行機からじゃ絶対に見ることのできない風景だ。

蜃気楼は窓外に延々と続いていた。うわっ、あんなに宙に浮いてるよ? すごくね?
しかも蜃気楼の上に蜃気楼、二重構造だぜ?
そう、本当に延々と。行けども行けども蜃気楼、右も左も蜃気楼、言ってみれば『蜃気楼の嵐』、マジすげぇ! オレ、絶賛興奮中!!



・・・ところで、人間は同じ状況が継続すると飽きる、という性質を根本に持つ。かくて30分後にはオレも飽き飽きしていた、さっきまであんなに感動していたのに。
「あ〜蜃気楼ね、浮かんでるね〜向こうの方が、あはは」ってなモンであった。しまいには「もう蜃気楼はいいから、早く到着しろよっ」などと中っ腹になる始末、これが現実なのである。


そんなこんなで約3時間、アブ・シンベル神殿に無事到着。
7台いた車のうち、5台は市内へ入っていった。モハメド君曰く「彼らは今日は移動だけ、明日の朝に神殿を見に行くんだね〜」とのこと、金も日程も余裕あるんだ、いいなぁ・・・。
でもモハメド君は、「彼らはヨーロッパ人だから。ヨーロッパとエジプトは近い、だから余裕のツアーができる。でも日本は遠いね、無理してでも見に来ないと」とオレに優しい見解を示す。モハメド君、ホントにいい人じゃ〜ん。ちなみに残った2台は、どちらも日本人だった。


このような次第で、午後のしばらくをアブ・シンベル神殿独占状態で満喫し、非常に満足したのではあるが、それはまた別の話*6

死ぬような暑さの中、遺跡をあっちだこっちだと見て回り、その後また砂漠の中をひた走り、アスワンに戻ったのであるが、往路と遺跡で本日分のアドレナリンをすべて使い尽くしたオレは、復路ではかなりおとなしくなっていた。
とは言え、決して寝ることなく、砂漠の風景をずーっと見つめ続けていた。こんな景色、二度と見ることができないかも知れない、寝ちゃうなんてもったいない。


そしてもうすぐアスワンという地点で、ぼちぼち日も暮れ始めてきた。

砂漠に沈む夕日、これまたステキなオマケであった。

(2016/05/01撮影)

*1:こんなことを言いながら、もちろんピラミッドもスフィンクスも、さらにはツタンカーメンの墓も見に行ったけど。

*2:登録第一号はガラパゴス諸島などの12件、エジプト関連は一件も登録されていないのだ。

*3:おとなしくパッケージツアーを使えば、多分座席は確保できたと思う。だがしかし、オレの旅行は自分で航空プランを立てることに喜びを見いだす方式なので、このような残念がたまに発生する。

*4:時間と体力が許すのであれば、オレは絶対に日帰りツアーをおすすめする。

*5:そう、オレはスピード大好きである。

*6:これまた微妙な体験をしたのである。そしてモハメド君、大活躍だったのだ。

リマの猫

ペルーの首都リマ、ミラ・フローレス区に『Parque John F.Kennedy(ケネディ公園)』というこぢんまりした公園がある。
こぢんまりと言ってもそこはそれ、外国の公園であるからして、それなりにでかい。区画で言ったら2ブロック相当になるが、他の公園から比べるとこぢんまりのイメージとなってしまう。多くの公園が巨大すぎるのだ。


このケネディ公園へ行くには、"¿Dónde está Kennedy Park?(ケネディ公園はどこすか?)"と尋ねても、地元の皆さんにはあまり通用しない。なぜならもっとステキな別名があり、そちらの方が一般的になっているから。
その名は『Parque de Gato』、つまり猫公園だ。したがって"¿Dónde está el Parque de Gato?*1"と聞けば、にっこり笑って道を教えてもらえる*2


さてこの公園は、『猫公園』と言うだけあって、猫がたくさん住み着いている。猫好きのオレとしては、是非行かねばなるまい! ってな次第でリマ滞在中に行ってみた。


公園入り口で、早速のお出迎えである。"Bueno, vamos.(よく来たにゃ)"って言っている、多分。

公園内の猫はいわゆる『地域猫』、猫好きの皆さんから食事と水を与えられて暮らしている。

こんな具合に、あちこちに水とキャットフードが置かれている。公園でくつろぐ人たちも、猫がいるのが当たり前となっている。
基本的には大事にされているので、猫たちも人なつこく、呼べば寄ってくる。

"Vamo〜s(おいでおいで〜♪)*3" "Espera un minuto,ya voy.(ちょっと待て、今いくにゃ)"と言いながらこっちに来た、多分。


中には怪我をしているコもいるが、たくましく生きている。目をやられてしまっているが、このコはとてもなつっこかった。オレを先導して、公園内をあちこち案内してくれた。もちろん、合間合間にスリスリの特典付きで^^


猫公園では、猫たちが自由にくつろいでおり、それを訪れた人々が適度に楽しんでいる。本当はもっとたくさんの猫がいたのだが、他の方々とのスキンシップに勤しんでいたのでオレは遠慮。だってねぇ、みんな猫と触れあいたくて、この公園に来ているんだからさ、そこに割り込んでは悪い。


と、このように猫公園、猫たちと猫好きたちのオアシスのような場所であるが、後でホテルスタッフに教えて貰った話では、中々に難しい側面もあるらしい。彼の話に依れば、

  • 自宅で面倒を見切れなくなった猫、あるいは望まず生まれてしまった子猫を捨てに来る人が後を絶たない。
  • 猫たちは基本的に公園外に出ることはないが、小さな公園なのでシモの臭い*4が問題になっている。
  • 食べ残しのキャットフードなども、悪臭の原因となっている。
  • こうしたことから、猫嫌いの人々から目の敵にされている。
  • 公園で生まれた子猫を、ゴミ袋に詰めて強制的に始末(!)する人もいた。
  • それでも最近では、観光客の集まるスポットになってきたので、それ目当ての売店による収入源ともなっている。
  • 猫公園目当てにミラ・フローレスのホテルを選ぶ人もいるから、とてもありがたい存在である。
  • 猫はかわいいし、我々にも生活があるし、でも衛生面や猫嫌いからすると問題でもあるし・・・

と言うことらしい。
"¿Te gustan los gatos?(キミは猫が好き?)"と尋ねたら、"Claro!(もちろん!)"と応えた彼にとっても、そして猫を愛するリマの人々にとっても、簡単には答えを出せない部分がある。
そして当然ではあるが、一時滞在の観光客であるオレには、意見を述べる資格などないのだった。


それでも猫は、Parque de Gatoで優雅に生きている。この子は、花に寄ってきた蝶にじゃれかかっているところ。

がんばれよ、リマの猫。

(2017/06/06撮影)

*1:ちなみにオレのスペイン語は、耳で覚えたものなので、文法的にはかなりいい加減だと思う。

*2:"Cat Park"でも一応は通じるよ。

*3:猫とは言え、一応はスペイン語で語りかけるのである。

*4:猫ねぇ、あんなにかわいいのに強烈なんだよね、シモの悪臭。

陶ヶ岳の釈迦涅槃像

早春の山口に行ってきた。
天気が安定しないこの時期は、晴れだったり雨だったり、時には雪に見舞われたりで、旅行するには中々大変なものがある*1。当日の横浜は大雨、羽田は小降り、飛行機が着いた先の山口宇部はどんよりと曇り。せっかくの旅行なのに、テンションが上がらないことおびただしい。しかも宇部は、ものすごく寒かった。


ともかく動き出さないことにはと、レンタカーを走らせてあちこちへ。そして向かった先の一つが、陶ヶ岳*2である。この山の頂上には、磨崖仏があるという。
事前のネット情報に依ると、40分ほどの山登りだとあった。とは言え標高230mとのことで、まぁ黙々と歩けば着くでしょと、さほど気に掛けてはいなかった。
・・・しかしオレは甘かった。以下反省点。


甘1:登山道は整備されているとの事前情報、これに誤りはなかった。しかし、前日まで数日来続いていた雨で、登山道が抉れているとは思ってもみなかった。しかも水がまだ少し流れていて、さながら小川状態、歩きにくいことこの上なし! まぁ雨が降れば山道は荒れるだろうよ。しかも3日ほど続いた雨降り後なら仕方あるまい。
甘2:標高230mは正しいのだろう。しかし、緩やかに登っていくのではなく、途中からかなり急峻な登りに変化する山だった。しかも最後の頂上ルートは、保護ロープを使っての急傾斜ムリクリよじ登りであった。マジかよ? まぁ落ち着いて考えれば、割合と海近くにある山での230mである。急な登りは止むを得まい。


ともかくトレッキングシューズで来たことが幸いし、何とか無事に頂上制覇、こんな眺めだった。登山口から25分、でもかなりしんどい25分である。しかも頂上、小雪が舞っていたし^^;

ちなみに登山道の写真は撮っていない。あまりに過酷なルートだったので、カメラを取り出す余裕なんぞなかったのである。情けないが仕方あるまい。


さて肝心の磨崖仏は、この頂上直下の岩場にあった。
特に標識などは出ていなかった*3が、頂上を回り込むようなルートが作られているので、ソコをたどれば到着する。

まずはこんなん。十六羅漢が岩に彫られていた。

入口側の羅漢像は、なんとか体部分が残っているが、さらに奥まった羅漢像は体が摩滅して顔だけ状態である。
ハッキリ言って気持ち悪い


さらにはこのような具合の羅漢像もあった。こちらは一体だけで彫られていたので、目つきの悪さも相まってキモさ倍増である。


・・・このように、オレ的に『ヘン』な部分が見つかるので、磨崖仏探訪はやめられないのである。


さて有終の美を飾る釈迦涅槃像は、最も奥まったところに彫られている。

涅槃像を拡大するとこうなる。

さすがはお釈迦様、きれいに彫られている。
脇侍の羅漢に比べても摩耗度合いが少ない。これはお釈迦様の力に依るものか、はたまた羅漢像を彫った人が少々手を抜いてしまったのか、それは謎である。オレは前者であると思いたいが、他の羅漢像の摩滅さを見てしまうと、後者への疑いが微かに湧いてしまうのを禁じ得ない。

それはさておき。
割合に小振りの磨崖像ではあったが、非常に満足した。で、残るは下山、ロープを伝っての急斜面*4下りである。
この時は自分の背の高さが非常に活躍した。だって背が高い分脚も長い、したがってリーチが届くから、スムーズに足場を辿れることになる。ココの下り、足場がかなり少ないのだ。
『背の低い人ってこういうときは大変だろうな、どうやって降りるんだろ?』などと不謹慎なことを考えつつ、普段はあまり役立たない高身長をありがたく思った*5


で、急傾斜を降りて一息。この部分は平坦地になっていて、ここからさっきまでいた岩場を見上げるとこんな具合である。

画面中央の岩が屹立しているところが磨崖仏、その奥が頂上部分、そして左下の葉の落ちている樹(多分、桜)の下辺りが登り口である。わかりにくいとは思うが、この画像からロープ登攀の急勾配加減を想像していただきたい。
あとはスタスタ下山し、登山口の駐車場に戻ったところでちょうど1時間、いろいろな意味で濃密な時間を過ごした。


参考までに陶ヶ岳の登山口駐車場は、下記リンクにて。駐車場に着くと、登山ルートのあらましが書かれている看板が設置されている。

陶ヶ岳登山口

お出かけの際は、足下の準備にはくれぐれも気を遣ってね。

(2018/03/09撮影)

*1:まずは着るものの手配、次いで雨具の準備。あと、飛行機内に傘を持ち込むのはイヤなので、自宅から駅までの移動手段。この日は大雨の隙間を縫って、小降りになった際に駅までダッシュにて。でも割と濡れちゃったけど。

*2:すえがたけ、である。オレもついつい、とうがたけ、と読んでしまうのだ。

*3:標識で思い出したが、頂上ルートへの道は2種類あるらしい。そこにあった標識には『どちらを選ぶかはあなたの運次第』的なことが書いてあった。

*4:ココの写真を撮っておけばよかったと、後悔しきりである。でもあの時は、そんな余裕すらなかったのである、マジで。斜面の状況を伝えてくれるサイトさんもあるので、よろしかったらググって欲しいところ。

*5:本当に役に立たないのである、高身長。この話だけでブログ一回分が書けるほど!